自分の差し番になるとイエンバは、その長い指にハートを挟んだまま、必ず盤上で一瞬手を止める。ハート形をした白い将棋の駒は木の梢に留まっている小鳥のようだ。そして小鳥はピンクの大地に軽く舞い降りる。
「あ、取られた!やるなあ、イエンバ。桂馬がそこにいたか。忘れてた!」
「ウフフ、ワタシ、ばすけっとぼーるデモふぇいんとトクイデス」
ふざけてチョコレート色の頬にピンクの金将を押し付ける。なんだか、今度はハートが美味しいお菓子に見えるよ。
「外国人の高校生を預かろうと思うけどいいわよね」と母から聞かされた時、驚きと戸惑いといっしょに、正直、胸が高鳴った。
「え、留学生?わーい、イケメン?」
「女の子よ。うちに男の子を置けるわけないでしょ!高校2年生」
まあ、そうか。母と娘の二人暮らしの家に、若い男の子が住むのは何かと問題があるということなのだろう。ちょっと残念だけど。
「なあんだ。まあ、いいんじゃない。預かるって何日くらい?」
「H高校のバスケット奨学生なんだって。学校の寮が急にしばらく閉鎖になることになって、学生のお世話してくれる家を探してるって竹内さんに言われちゃった。卒業までの1年間ちょっとかな。寝るとこと朝夕ご飯くらいだからって」
「えー、そんなに長く?なんで閉鎖に?よくわかんない変な子だったらどうするの?」
1週間か10日といったところだと思っていた。急に不安の方が迫ってきた。
「さっきはわーい!って言ってたくせに。寮の台所でなんか事故があったらしいわよ。大規模改装なんだって。だいたい、あちらも私たちに不満があるかもしれないじゃない。変な家族だって。そしたら、それはまたお互いに話し合ってきめるわよ」
「まあねえ…話し合うって、日本語で大丈夫なんでしょうねえ?」
「さあ?大丈夫なんじゃない。日本に留学してきてるんだから。二階の和室を片付けて、そこにお布団敷けばいいかな。机とタンスは新しいの入れてあげないとねえ…」
母は新しい家族を迎えるのが楽しくてたまらないようすだった。私は、彼女の楽観主義に基づくお節介にはずいぶん慣れっこになっている。そして、それがこの母子家庭を支えてきた原動力になってきたのだとも承知している。とはいうものの、外国人の高校生?大丈夫なんだろうか。
「オカエリナサイ」
庭に何か背の高い彫像がある、そう思ってしまった。大きく開かれた瞳が高いところからまっすぐにこちらを見おろしていた。
「あ、り留学生の…」
「イエンバ=ケルトヨ デス」
日本に来る留学生…私は勝手に欧米のティーン像を頭の中に作り上げていたことに気づいた。バスケットボール選手として奨学金をもらってやってくるのだ。欧米やアジア近郊の国の選手なら、日本にやってきてバスケットボールを学ぶ必要などないのではないだろうか。そうだ、アフリカ系だ。勝手な思い込みで驚いている自分の失礼さに気づかれまいと、私は大急ぎで笑顔を作った。
「カナです。よろしく」
握手する手のひらの大きさと指の長さに反して、くりっとした大きな目がなんとも可愛らしい子供のように思えた。
「お庭でトレーニングとかもやりたいんですって。だから、今、ちょっと見てもらっていたのよ。このへんでできそうよね?」
この1週間ほど、母とはろくに話もできていなかった。中国で流行している伝染病の影響で新しい仕入れ先を手配したり、輸送の手続きのやり直しをしたりと、夜も昼もなく過ごしていたのだ。近々留学生が引っ越してくるよ、と聞いた気がするけれど、あーはいはいと聞き流していた。
そして、その日が今日だったということのようだった。
ナイジェリアから来た、イエンバ=ケルトヨ17歳。身長は193cm。机とタンスを新しく入れてあげるなら、ベッドも買ってあげた方がいいんじゃないの?といった私に、なんかお布団の方がいいみたいなのよと母が答えたわけがわかった。用意した布団はとうぜん寸足らずで、寒くてかわいそうだと、母は大急ぎで丈の長い毛布や布団を手作りしていた。
イエンバはすでに半年間、高校の寮で生活をしていたせいか、私たちがそれほど大きなストレスを感じるようなことはなかった。朝起きるのが苦手だったり、物の扱いが少々粗雑だったりすることがあるのはお国柄か、若さのせいかはわからない。日本社会では無神経とか自分勝手と呼ばれてしまいかねない言動も時折はあったけれど、指摘されるとすぐに「ゴメンナサイ」とペコリと頭を下げた。私はなによりも母が、イエンバの鷹揚さに非常に寛容に接するのには驚いた。
「すいぶん優しいじゃないの。昔はこういうことにはずいぶん怖い顔で怒ってた気がするけど」
「だって、イエンバちゃんは若いんだからしかたないじゃないの。遠い国に来て頑張っていて。なにより元気で明るいのがいちばんよ」
イエンバにとっては昭和に作られた木造住宅のドアやふすまは、移動のたびに頭を下げてくぐらなければならない面倒なものだった。ときどきはぶつかることもあるようで、ナイジェリアの言葉で軽く叫んだ。その度に母はすっとんで行って、手をいっぱいに伸ばしても届かない高さのにある額の手当をしようとし、イエンバは「ダイジョブデス」と照れながら腰をかがめていた。
家には姉妹が5人いるという。「ワタシハ、サンバン。マンナカ」ナイジェリアの公用語が英語ということで、イエンバは堪能に英語を話す。複雑なことは私と英語で会話することもあったが「オカサンガワカラルヨニ(お母さんがわかるように)」できるだけ日本語で話す努力をしてくれていた。イエンバは日本の「オカサン」を慕ってくれていたし、母もまた素直なイエンバが愛しくてたまらない様子だった。
中国で流行っている伝染病というのが「新型コロナ」という名で報道されるようになり、世界中、そして日本でも感染対策が呼びかけられた。イエンバの学校も休校となり、自宅学習を促された。
「キョカショニホンゴダカラネ。ヨメナイ。ナノデ、ハシル」イエンバは笑いながら言って、庭でストレッチをしたり、ランニングに出かけたりして日々を過ごしていた。
週3日は在宅でという勤務形態になった私に、母は
「太るわよ。イエンバちゃんと一緒に走ってくればいいのに」と焚きつけた。
「家にいるけど、仕事中なんだってば。電話がかかってくるかもしれないし、メールもすぐに返信しないと何言われるか…」
「あらそうなの?座ってお茶ばっかり飲んでるじゃない。テレビだってついてるし。あ、そうだ、これね、高橋さんがくれたんだけど。外人さんに教えてあげたらどうかなって。カナちゃん、イエンバちゃんに教えてあげて二人でやったらいいわよ」
「何?」
ブルーの可愛らしいバッグに入っていたのはビンクの板2枚と、白とピンクのハートたちであった。表面には「と」「桂」「金」などの文字が書いてある。
「え?これひょっとして将棋?!」
「そうなのよ。かわいいでしょう?動きも書いてあるしね」
なるほど、この点、丸、星はコマの動きを説明しているのだ。「歩」の下に「pawn」とあるから、チェスの知識がある外国人ならよりわかりやすいかもしれない。
「いいけど、でもやるかなあ。今の子達はなんでもケイタイだからねえ。ゲームだってネットでしょう?」
イエンバも携帯電話は当然持っていた。ナイジェリアの貧富の差は激しく、自家用ヘリで移動するような富裕層と極度の貧困状態にある一億人が暮らしているという。「ワタシハ、ドッチデモナイ。フツウ。マンナカ」イエンバは、日本に留学してきて、国の友人とFacebookで交流もできているようだから、マンナカよりはかなり上の方なんでは?と、聞いてみたことがあった。それでも「マンナカ。フツウデス」そう言った後、そう答えておくのが日本でのマナーだは知ってるから、と英語で語って白い歯を見せて笑ったことがあった。
「ねえ、日本のチェスだって言ってよ。おもしろいのよって。将棋ならなんとかあたしもできるから」
「なあんだ。お母さんがやりたいんじゃない。じゃ、そういえばいいのに。イエンバはお母さんのこと大好きなんだからいっしょにやってくれるわよ」
ピンクの盤面上にハートの駒が飛び出してくると、イエンバはwow!ともoh!ともつかない喜びと驚きの声を上げた。
「ナニ?アソビ?ゲーム?ヤリマス、オシエテ」
イエンバはチェスを知っていた。「角」はbishopで、「桂馬」はknightだと、あとはこういう違いがあって、という程度の説明ですぐルールを飲み込んだ。母を相手に何番か勝負をすると、そのうち「かなサン、ショーギヤリマスカ」とこちらにお鉢が回ってきた。どうも、短時間でコツを飲み込んで、母相手では物足りなくなったらしい。
「あら、こんな時間。夕飯支度始めようかしらね」と母はそそくさと台所に向かって行った。
その後、イエンバはストレッチ、ランニング、筋トレ、ドリブル練習、シュート練習…という毎日の自主練習メニューにハート将棋を加えたようだった。チームプレイにおいてなかなかの戦略家でもあるイエンバにとって、母は勝負の相手としてはかなり格下になっていた。けれども、必ず最初は「オカアサン、はーとショーギオネガイシマス」というので、母も実力の差は知りつつも満更ではない様子で相手になっていた。私もそれほど強いわけではないのだけれど、イエンバの成長ぶりにまけまいと、将棋関係のネット記事や本を調べるようにもなった。イエンバが自分で考えたらしい珍しい戦法や陣形を見せてくれることもあり、ハート将棋は在宅勤務中のいい気分転換だった。
「ケイマスキデス。チョットトバシテマエニススム。」
桂馬の動きや密かに出番を探る感じは、イエンバの長い足や躍動感と通じるものがあ流ようにも思えた。
「ばすけっとぼーる、シアイ、ヤリタイ」
夏になっても、事態はそれほど変わらなかった。コロナ禍での先の見えないSTAY-HOME状態に、若いアスリートが辟易していた。母も、私も、それぞれの立場や年齢で不自由感や不満、不安を抱いて暮らしている。
「ニホンデばすけっとぼーるデキナイ。オトサンカエレトイウ」バスケットボールをやるために日本に来たのに、それができていないのなら帰国せよと父親が言ってきているのだとイエンバは言った。ナイジェリアのコロナ感染状況はと調べてみたが、あまり正確な情報は得られなかった。だが、感染者は欧米と頻繁に行き来する富裕層に少し見られる程度で、国として感染拡大が問題になっている状況ではないらしい。緊急事態宣言などが出された日本にいるよりは、本国で練習せよということか。
「デモ、オカネタクサンナイ。セイフ、ヒコウキイッカイダケオカネハンブンダシテクレル」
日本からナイジェリアへの渡航費を負担する余裕はイエンバの父親個人にはないが、ナイジェリア政府が帰国便の負担を限定的にしてくれることになったらしい。しかしそれはある決まった期日の決まった便の利用にかぎり、それを見送れば次の機会は不明であり、また、一旦帰国後ふたたび日本に戻れる保証もまったくない。
「ドウシヨウ。ニホンニイタイ。デモばすけっとぼーるデキナイ」
悩みながらも毎日の練習メニューをイエンバは淡々とこなしていた。その傍で母の動揺ぶりは見ていられなかった。
「帰っちゃったら寂しいわね。でも、日本にいたらバスケットできないものね。だけど、ナイジェリアは違うことが危なかったり、物やお金がなかったりするでしょう?日本にいた方が絶対いいわよ。ああ、お父さんはご心配よね。コロナのある日本になんか娘を置いておきたくないわよ。それにバスケットできないんだもんね…」
秋には学校の授業や部活練習も再開された。マスクをつけて、換気をして、用具の消毒を繰り返しての実施である。けれども他校との試合や大会は軒並み中止のままだった。そして国際線の運行も減便しながらも再開していた。
「イマダケカエル。マタクル、ゼッタイ」
イエンバの決断とその告白に母は大泣きした。それでも、覚悟はできていたようで
「これ、持ってお帰りね。みんなに教えてあげて」
と、ハート将棋の新品の箱を渡した。
「こっちのはうちに置いておくからね。今はテレビ電話でつながるでしょう?今まで通り毎日やろうね」
ナイジェリア国内の通信環境で、毎日映像で繋ぐことができるかどうかは甚だ怪しいと思ったが黙っておいた。
「オカアサン、アリガトウ。はーとショウギヤリマス。イモウトトオトウトニオシエル」
出発までに母はイエンバに持たせるものをしこたま買い込んだ。洋服や化粧品、電化製品、文房具、食器類…お嫁に行かせるようね、とからかったら、だって、もう会えないかもしれないんだからね、と再び涙ぐんだ。毎日、ネットでハート将棋をやるというのはおそらく無理なのだろうと実は承知のことらしい。
空港で送るのは辛いと母が言うので、私たちは空港までのバスに乗り込むところまでを見送った。
イエンバはドーハでのトランジット時にメッセージを送ってきた。
「OKASAN KANA ARIGATO SEE YOU AGAIN!」
自撮りの写真のチョコレート色の顔は人なつこく笑っていた。
無事に帰国したのかどうか、どこからも誰からも報告はなかった。心配する母に急かされて、学校の関係者を通じてナイジェリア政府機関にも問い合わせたが、「特に問題は報告されていない」というだけの回答だった。
「まあ、大きな事故や事件はないみたいだから心配いらないわよ。ちゃんと帰ったって」
「でもねえ、イエンバちゃんなら何か言ってくるでしょう?」
「どうかなあ。あちらはあちらのやり方に戻るでしょうからねえ。あまり気にしないんじゃない?便りがないのは良い便りっていう言葉を覚えて帰ったのかもよ」
「そう…」
母はそれからも何度か、イエンバからFacebookに連絡は来てないかと聞いてきていたが、Noを繰り返されるのが辛かったのか、いつしかこのことは口にしなくなった。ネットでのハート将棋対決はついぞ行われることはなかったのだ。
日本では第三波ともいわれるようにコロナの発症者が急増し、マスクをした人々が皆少し小さく背中を丸めて歩く年末を迎えた。イエンバの話もほとんどしなくなっていたが、母は2階の部屋を整えて続けていた。
忘年会もクリスマスパーティもない年の暮れであった。それでもと思い、母と私二人分のちいさなケーキを買って帰ると、母が飛び出すように迎えた。
「かなちゃん、かなちゃん。フェイスなんとかを開けてよ。イエンバが何かやってるって竹内さんが教えてくれたの。見せて、見せて」
Facebookにイエンバが動画をアップしていたのだ。バスケットボールの仲間だろうか、グラウンドに同じ年頃の女の子たちが集まっている。
自己紹介と学校の庭でバスケットを練習しているところだという説明を英語でした後、
『ニホンノミナサン、コンニチハ。ゲンキデスカ。ハートショーギシテマスカ?』
そしてイエンバはピンクと白の駒をそれぞれ頬に押し当てながら満面の笑みを浮かべてこう言った。
『ニホンノオカサン、アリガトウ。ハートショウギヤッテマス。イモウトタチツクリマシタ』
映像はハート将棋の盤面を映した。白とピンクのハートがさらに二つのハート型に並べられている。そして視界が広がると、驚いたことに、手作りと思われるハート将棋盤がいくつも映し出されたのだ。材料は紙か板切れか判別できないが、駒はそれぞれがハート形に作られ、漢字(と思われる絵)が書かれていた。本物。のハート将棋盤の周りに、10個余りの手作りハート将棋盤と手作りハート駒が並んでいた。
『ライネン、ばすけっとトハートショウギヤリニニホンニカエリマス。ゼッタイ。マッテテ』
そして、画面はイエンバと友人たちとおそらく妹であろう小さな子たちのチョコレート色の笑顔で終わった。
わたしはすぐにコメント欄に書き込んだ。
We were surprised. Looks fine. We were worried because we didn't hear from you.
(びっくりしたわ。元気そうね。連絡がないからしんぱいしてたの)
すぐに返信が来た。
I'm good at feints!(フェイントが得意なので!)
Say hello to OKASAN (お母さんによろしく言ってください)
母は動画を何度も何度も再生した後に、涙を拭いたタオルをテーブルに置くと言った。
「高橋さんにハート将棋はどこで売ってるか聞いてみよう。たくさん買って妹さんやお友達にも送らないとね」
母は来るべき日のために2階の部屋でイエンバと妹たちが一緒に寝られるように準備を始めている。
母はタオルで顔を押さえながらしばらく黙っていた。そしてこう言った。
「強くなったってバスケットが、それとも将棋が?」
コロナが収まって、みんながスポーツを楽しめる日がきますように!メリークリスマス。
【ハート将棋物語】〜宇佐木野生(うさぎのぶ)作〜
*作家・宇佐木野生(うさぎのぶ)さんが「ハート将棋物語」を執筆しました。 実際に「ハート将棋」を購入されたお客様からお伺いしたお話をベースにした物語も含まれています。
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